sanzaemon独り言

sanzaemonの日々の感じたことを綴る備忘録

コミュ力がない

コミュニケーション能力が高い人が労働者市場で求められているが、私自身コミュ力というものに全然自信がない。


プログラミングする過程で、わからない仕様についてSEと話すが、うまく説明できないことが多々ある。


頭で考えていることを外に発信することの難しさを日々痛感している。


恐らく、原因として頭であまり物事を考えないからだと思う。


いや、それだと語弊がある。


思考というものをしない。ということになるだろう。


プログラミングでも日々の会話にしても、遊んでいる時にしても割と思考よりも浅い直感のような次元で物事を、考えている。


だから、こうっぽいとか、こうした方がいいっぽい、面白そうとか、なんとなく嫌だ、とか論理とか理論とか損得とかあまり深く考えず生きているので、人に順序だてて物事を説明するとが苦手なのだと思う。


そういった意味こうしたブログを書くのは、いいことなのかもしれない。


最近、何かと日大アメフト部のことがやっているが、私自身学生時代運動部に入っていて、顧問のいうことは絶対だみたいな雰囲気の部活がほとんどだし、それ以前に後輩は先輩に服従だし、あのような環境で追い詰められる当然だと思う。


私自身スポーツ推薦のような制度自体に否定的である。

会社だったり、体育学部だったら、まだしも勉強を修める場でスポーツを優遇し、入ってからもスポーツ漬けでそのまま卒業って大学出る必要あるのかと思う。


いや、何々大学卒のブランドが得られるという人もいるが、それ以前に大学がそのスタンスでいいのかということが疑問である。


多くの私立大学の元々の目的というものは、法律を教えることに原点がある。


つまり、学問を修めることが設立目的であり、競技スポーツで好成績を修めることが本質ではない。


日本大学というものも例外ではない。

それが大学の運営に関わる役員でもある人物が暴力的な言葉で違法な行為を学生に教唆するなど言語道断である。


大学の関係者はもう一度明治の先人たちの大学(当時は専門学校)の設立目的に立ち返り、大学というもの、学校というもの、を考え直してもらいたい。